Overture

Before

古民家再生というテーマ自体にまさか
自分自身が向かい合うとは思いもしなかった。
この家を薦められた時、はっきり言って断るほかなし、
と私自身考えていた。
廃屋とはいかないまでも、それは所有者が居ながらも
住まいとしての役目から切り離された建物としてのもの悲しさ、
惨めさに満ちあふれていたからである。
柱の下部は虫喰いによって朽ち、
雨漏りのため畳は長年の湿気により腐っていた。
購入を決断してからも、わたしは振り返り、振り返り、
また前途を案じながら過ごしてきた。五分の期待と、五分の不安があった。
それは長らく続いたが、きっと今後も、それは続いて行くと思うのだ。

▼ごらんの通り、庭であったところは
樹木が伸び放題でジャングルのようになっていた
酷いものだった。

▼イマドキのお風呂からは想像もできないような小さなお風呂。処分されずにこのまま床が上に張られ階段の下に眠っていたが2010年の改修時にやっと処分。



▼昭和30年代を彷彿とさせる流し。もちろんこれはリサイクルはせずに処分
当初はこのスペースに床を張り壁土を塗って書斎としたが、その後痛みが激しく寝室に再度リフォームした

▼これを見てピンと来た人はそれなりの年齢のはず。
昔の(水道が確保されていない)トイレの前にはこのように水(消毒液)を入れたタンクが釣られていて、
これを下にボタボタ落としながら手を洗った。
今から見ればいかにも不衛生だが。
この家もトイレは昔ながらのように外に作られているくみ取り式で
夜中にトイレに行くのは真っ暗でさぞ怖かった事だろう。
いまはここに浴室がある。

After(1999施工後のすまい)

施工後の住まいの仕様である。
現在はさらに様子が変わっている。

▼玄関

もともと上がりかまちの小さな家であったのを一部屋潰して広めにとった。
当時はこのようなタイルを敷いていたが、掃除がしにくいので2010年の工事の際にフラットなものに作り替えてもらっている。

下駄箱は熊野神社前の「ブルーパロット」で購入したもの
気に入っていたが嫁入り道具に干されて手放すことになった。

▼キッチン

机とイスは友人がもとやっていた店「ルイジアナ・ピット」で使っていたものを安く分けて貰った。
天板を組み替えれば六人掛けにもなった。
レンジの下はアンティーク屋でみつけた食器棚で以上は結婚まで使っていた。
一万二千円。
上はナショナルのペンダントライトで昇降可能なもの。
テーブルカバーはゼスト御池で千円で買ったもの。
ナショナルのシステムキッチンであるが、
トップのキャビネットがスライドして下に降りてくるものにしてもらった。
シンクは大きめの中華鍋が洗えるタイプ。


▼洗面台

寸法の制約があり既成の洗面台が収まらずご覧のような格好に。
当時はこのようにごちゃごちゃ並べては楽しんでいたが、
ヨメによっていまは綺麗に片付けられている。
正面の鏡は会社の近所の某所でタダで貰ってきたものだが、
小さくて間に合わないのでこれも現在は処分して別の鏡がかかっている。

▼ 床の間

床の間はもともとあったものだが、当初は酷く荒れていた。
初めは潰して収納にしようかと思っていたがH大工の
「家には一個無駄と思える部分がなくては」という発言で気が変わった。

額は実家にあったもの。
前面机は実家にあったものをゲット。
漆塗りのものなので傷対策のためにカバーをかけた。
これもゼスト御池で千円。
畳は某所の工事で不要になったものを譲り受けていた。

▼ 音楽用のスペース

一角にギターが掛けられるようにしてもらっていた。
前にあるのはナショナルの「超音響ステレオ」で、兄嫁サンの実家にあったもの。
SP盤や短波が聴けるのがミソですが、いかんせんレコードの針がダメで代品がなく飾りものとして配置。
これも置き場所に困り処分。

▼ 書斎

この家は基本的にこの書斎と広間と地下の物置しかなく、
この場所で布団を敷いて寝ていたのである。
奥にある円筒型の物体はパーフェクションという舶来メーカーのストーブ。
抵抗しましたが「家に置く場所がないからもってけ」というオヤジに屈して引き取り。
現在でも芯を交換して冬はたまに利用している。
生産国では馬小屋を暖めるのに使うらしい。

▼ 書斎2号

書斎の上には屋根裏のようなスペースがあり、
特に目的はないのだがごらんのように文豪の隠れ家のようにものを配置して勝手に楽しんでいた。

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